大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成6年(ワ)1218号 判決 1998年11月30日

原告

シュールド・アルベルト・ラプレー

外七名

右訴訟代理人弁護士

新美隆

藍谷邦雄

鈴木五十三

永野貫太郎

鈴木一郎

高木喜孝

吉田瑞彦

山下朝陽

被告

右代表者法務大臣

中村正三郎

右指定代理人

岸秀光

外一三名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告ら各自に対し、二万二〇〇〇米国ドル及びこれに対する平成六年四月八日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、第二次世界大戦中のオランダ領東インドにおける日本軍の捕虜収容所又は民間抑留者収容所において、日本軍の構成員から、一九〇七年の陸戦の法規慣例に関する条約(以下「ヘーグ陸戦条約」という。)に付属する陸戦の法規慣例に関する規則(以下「ヘーグ陸戦規則」という。)及び一九二九年の捕虜の待遇に関する条約(以下「ジュネーブ条約」という。)の双方又は前者に違反する虐待等の被害を受けたとする原告らが、被告に対し、ヘーグ陸戦条約の三条及び同条と同内容の国際慣習法に基づき、精神的損害の賠償を求めた事案である。

第三  当事者の主張

一  原告らの主張

1  原告らの被害事実の背景事情

(一) オランダ領東インドに対する日本の侵略

日本は、一九四〇年ころ、戦争物資特に石油資源を獲得するためにオランダ領東インドに対する外交政策を強化し、オランダ領東インドの大東亜共栄圏への編入を推進していた。

一九四一年一二月八日、日本は米英に対し宣戦布告したが、翌九日、オランダは、日本に対して「日本がオランダと緊密不可分の関係にある米英両国に対し、戦端を開いたので日本オランダ間に戦争状態が存在するに至ったものと認める」旨通告した。

日本軍は、一九四二年一月一一日、オランダ領東インドのボルネオに上陸し、日本は、この時点でオランダとの戦闘を開始した旨の政府声明を出した。

日本軍は、同年二月上旬までに、タラカン島、パリクパパン、パンジェルマシン、アンボン島、及びセレベスのマカッサルを占領した。続いて日本軍は、同月一六日にスマトラのパレンバン、同月二〇日にチモール島、同年三月五日にジャワのバタヴィアをそれぞれ占領し、その結果、オランダ領東インド軍は同月九日に降伏した。

そして、日本軍は、同月中にはスマトラ島北部も占領し、オランダ領東インド全部が日本軍占領下に入った。

(二) オランダ領東インドの捕虜収容所及び民間人抑留者収容所

(1) ジャワにおいては、一九四二年八月一五日、日本軍の軍令により「瓜哇俘虜収容所」が結成され、ジャカルタ本所の下に、実際に捕虜を収容する業務を担う五つの分所がジャカルタ、バンドン、チラチャップ、マラン、スラバヤの各地に設置され、更に、この五つの分所の下に、それぞれ捕虜を収容する約二〇から二五か所の分遣所が設置された。

その後、ジャワの他ボルネオ、スマトラ、セレベス、モルッカ群島チモール及びニューギニア等オランダ領東インド全域にわたり捕虜収容所が設けられた。

オランダ領東インドにおける捕虜は、全体で約九万九〇〇〇人にのぼった。

(2) 日本軍は、一九四二年四月、オランダ領東インドにおいて、オランダ人、中国人、第三国人の登録とオランダ人官公吏二〇〇〇人の拘禁を行った。そして、同年五月二五日には、反日的言論、情報の取締りとその検閲に関する方針を出した。

民間人を抑留するための正式な軍抑留所は、一九四三年一一月七日陸軍の「軍抑留者取扱規程」によってその設置が承認された。

瓜哇軍抑留所は、一九四四年三月に開設され、本所と第一総分遣所をジャカルタに、第二分所をバンドン、第三分所をスマランに開設した。ジャワの民間人抑留者総数は、男子二万三六六七人、女子三万一一七四人、子供一万四九三八人を数えた。

なお、ジャワだけでなくスマトラにも一万人を超す民間人が抑留されていた。

(三) 捕虜及び民間人抑留者への残虐行為等

オランダ領東インドにおける日本軍の捕虜及び民間人抑留者の取扱において、いわゆる戦争法規犯罪に該当するような行為及び残虐行為が、非常に大規模に、かつすべての地域で全く共通の方法で行われた。

日本軍は、捕虜を冷酷に射殺したり、斬首したり、又はその他の方法で殺した。また、捕虜が長距離の行軍を強制され、落伍した者の多くが殺害されたといういわゆる死の行進、熱帯の暑気の中で過酷な条件の下での強制労働、食糧や衣料品の供給が極端に劣悪であったため数千の者を病死させたこと、捕虜から情報や自白を引き出すために行われた殴打等の様々な拷問、逃亡した捕虜を裁判なしに殺害したことなど、日本軍により諸々の戦争法規違反行為及び残虐行為が広く実行された。このような残虐行為及び戦争犯罪行為に関しては、既に極東国際軍事裁判の判決が諸事実を摘示しているところである。

民間人抑留者の中で、抑留中に死亡した者は、ジャワでは一九四四年一七一八人、一九四五年四二六三人に上った。そして、泰緬鉄道建設等における過酷な労働により、合計四万七〇〇〇人の捕虜や労役者が死亡した。

以上のような捕虜収容所及び民間人抑留者収容所における戦争法規違反あるいは非人道的な取扱不良、虐待等は、陸軍大臣の監督と支配の下に行われたものであった。

2  原告らの被害事実並びに被告のヘーグ陸戦規則及びジュネーブ条約違反

(一) 原告らの被害事実

原告らは、いずれも、日本軍の捕虜又は民間人抑留者として捕虜収容所又は民間人抑留者収容所に収容された期間中に、次に述べる被告の戦争犯罪行為(以下「本件加害行為」という。)の犠牲になったものである。原告らの被害事実は、それぞれ次のとおりである。

(1) 原告シュールド・アルベルト・ラプレー

ア 原告シュールド・アルベルト・ラプレー(以下「原告ラプレー」という。)は、日本軍がオランダ領東インドの占領を開始した一九四二年六月ころ、オランダ王国インディッシュ軍の将校であった。

同年四月ころから収容が始まり、原告ラプレーは、捕虜としてバンドン第一収容所に収容され、看守から暴行を受けながら強制的に労役に服せしめられた。

同年七月ころ、原告ラプレーは、チマヒ第四及び第九収容所に移され、強制労役に服せしめられた。

一九四三年一〇月ころ、原告ラプレーは、後の連合国軍事法廷で死刑を宣告された「ソネ」が所長を務めるバタヴィア第一〇収容所に移された。原告ラプレーは、所長から投石その他の暴行を加えられたほか、食事の支給の差し止めを受けたりした。

一九四四年初旬ころ、原告ラプレーは、赤十字旗を掲げていない輸送船でシンガポールに輸送された。輸送船の船室は捕虜で一杯であり、数日後には糞尿が一面に広がり、悪臭が立ちこめ、五、六日後にシンガポールに到着したときには、多くの老人達が死亡していた。原告ラプレーは、シンガポールのチャンギ収容所において、一日一握りの米程度の食料で、少しの休息もなく空港建設作業に従事させられた。原告ラプレーは、日中の作業中、倒れた捕虜をとがった棒で突く日本兵を止めようとして、銃剣で暴行され、気絶したために九死に一生を得たことがあった。

原告ラプレーは、一九四五年八月中旬ころ、チャンギ収容所から解放された。

原告ラプレーは、現在でも、収容所での苛酷な経験がよみがえり、寝汗をかいて眠れないこともしばしばである。

原告ラプレーが収容されたバンドン捕虜収容所及びチマヒ捕虜収容所は、いずれも組織的テロ及び捕虜取扱不良の戦争犯罪により、バタヴィア捕虜収容所は、その本所が収容所の総合監督責任の戦争犯罪により、それぞれバタヴィア臨時軍法会議法廷で断罪されているから、原告ラプレーが被告の戦争犯罪行為の犠牲者であることは明らかである。

イ 原告ラプレーに対する本件加害行為のうち、収容所における取扱不良及び虐待は、ジュネーブ条約三条、一〇ないし一五条及び二七条並びにヘーグ陸戦規則四条二項、六条及び七条に違反する。

(2) 原告ヘラルド・ユングスラーガー

ア 原告ヘラルド・ユングスラーガー(以下「原告ユングスラーガー」という。)は、一九四二年六月ころ、一五歳の学生であった。

原告ユングスラーガーは、一九四三年一〇月、父親とともに、バンドン所在の少年院に収容された。少年院の定員は二〇〇名であったが、被収容者は、二五〇〇人を超えていた。ここでは、強制労役はなかった。

原告ユングスラーガーは、一九四四年四月ころ、父親、兄とともにチマヒにあるオランダ・インド大隊第四大隊の旧軍営舎に収容された。チマヒの旧軍営舎は定員一〇〇〇名であったが、一万人が収容された。抑留者は、軍の病院設備を利用することができなかったため、蔓延した赤痢により多くの収容者が治療を受けられないまま死亡した。原告は、一日おきに倉庫と日本軍のキャンプとの間の五キロ程の距離を馬又は人力で荷車を押して食料を運搬する作業に従事させられた。作業が遅いと看守が鞭で叩いた。

作業が遅い又は頭の下げ方が悪いことを理由に、被収容者が看守から二四時間両手を後ろ手に縛られるなどの罰を受けることもしばしばであった。

原告ユングスラーガーとその家族は、収容の過程でほとんど全ての財産を失った。原告の父が所有していた薬局は収容され、携帯した動産類も収容所に連行される際に喪失した。

原告ユングスラーガーは、収容中に体験又は目撃した看守の被収容者に対する非人道的な扱いが心の傷となり、現在でも収容中の恐怖の記憶が悪夢として現れる。

原告ユングスラーガーが収容されたバンドン抑留所及びチマヒ抑留所は、いずれも組織的テロ及び被抑留者不当取扱の戦争犯罪によりバタヴィア軍法会議法廷で断罪されているから、原告ユングスラーガーが被告の戦争犯罪の犠牲者であることは明らかである。

イ 原告ユングスラーガーに対する本件加害行為のうち、当時一五歳に過ぎなかった同原告を家族と隔離して抑留したこと及び抑留時における取扱不良、虐待、強制労働等の事実は、ヘーグ陸戦規則四六条一項に違反する。

(3) 原告コルネリス・ジャック・ストーク

ア 原告コルネリス・ジャック・ストーク(以下「原告ストーク」という。)は、一九四二年三月ころ、バタヴィアの出版印刷会社のマネージャーであった。

原告ストークは、同年三月九日、バンドンで収容された。オランダ王国軍の降伏から数か月後には、収容所から脱出をはかったことを理由に多くの被収容者が裁判を経ずに処刑された。

原告ストークは、数か月後、チラチャブ港に移されて、破壊された街の後片づけの強制労働に従事させられた。

原告ストークは、一九四三年一月、「ソネ」が所長を務めるバタヴィア第一〇収容所に移された。

原告ストークは、バタヴィアから輸送船でシンガポールに輸送された。船内は、不衛生な上食事も飲料も与えられない想像を絶するすし詰め状態であった。シンガポールからは、不衛生な状態で家畜車両に詰め込めれ、食事も飲料もほとんど与えられないままタイのバンボンに移送された。そこにおいて、死の鉄道として知られる泰緬鉄道の建設に従事させられた。一九四三年一〇月に鉄道が完成するまでに過労、赤痢、その他の病気により何千もの被抑留者が死亡した。

原告ストークは、収容中に日本兵に殴打されたために背骨に激しい損傷を受け、現在でも背骨に痛みがある。

原告ストークが収容されたバンドン抑留所は、組織的テロ及び被抑留者不当取扱の戦争犯罪により、バタヴィア抑留所は、その本所が総合監督責任の戦争犯罪により、それぞれバタヴィア臨時軍法会議法廷で断罪されており、原告ストークが被告の戦争犯罪行為の犠牲者であることは明らかである。

イ 原告ストークに対する本件加害行為のうち、いわゆる泰緬鉄道建設のために抑留し、強制労働に従事させたこと及び非人道的な取扱は、ヘーグ陸戦規則四六条一項に違反する。

(4) 原告アンナ・マリア・ドゥ・パイパー

ア 原告アンナ・マリア・ドゥ・パイパー(以下「原告パイパー」という。)は、一九四二年三月六日に出生した。

原告パイパーは、同年一二月ころ母親とともにバンドンのチハピット抑留所に収容された。チハピット収容所では、一件の家に二二人が同居することもあった。原告パイパーの母親は栄養失調による皮膚病に罹患した。

原告パイパーは、一九四四年一〇月ころ、到着地で処刑すると脅されて、母親とともに行き先も告げられないまま、二〇時間以上もすし詰め状態の列車に乗せられた。このときの恐怖は、現在でもいやすことができず、列車に乗る度に死の恐怖がよみがえってくる。

原告パイパーは、列車が目的地に到着後、モエンチラン抑留所に母親とともに収容され、一八〇人が詰め込まれた講堂で寝起きした。その後抑留者の人数が増えると、原告パイパーは自転車置き場に移されそこで寝起きした。建物の両端に壁がないため、熱帯雨がベッドの足下に吹き付けた。

原告パイパー自身の記憶は、このころから始まる。原告パイパーは、後になってKZ症候群という精神疾患を発病し、その治療のためにベントタール療法を受けるが、治療時に収容当時の辛く恐ろしい記憶がよみがえる。

原告パイパーは、一九四五年五月ころ、バンジョービロー第九抑留所に収容された。バンジョービロー収容所は、すし詰め状態であり、原告パイパーは、母親とともに、建物の軒下で生活した。原告パイパーは、日本兵が女性の抑留者に対し殴る蹴るの暴行を加えている場面を目撃したが、この出来事はその後長い間悪夢となって原告パイパーを襲う。また、原告パイパーは、マラリヤその他の病気に罹患した際、何らの治療も受けることができなかった。

原告パイパーは、一九四五年八月末に被告の敗戦を、同年一〇月一九日、父親の死亡をそれぞれ知らされた。原告パイパーは、一九四六年一月六日、オランダに帰還したが、当時既にトラウマの犠牲者であった。

収容所での抑留生活中、原告パイパーは、マラリアをはじめとして各種の病気に罹患した。また、原告パイパーは、収容所における栄養失調、特にビタミン及びカルシウム不足が原因で現在でも骨と筋肉が定期的に痛む。

原告パイパーは、七、八歳ころから過去の事件にうなされ、悪夢を見るようになり、一九八三年KZ症候群であると診断され、迫害の犠牲者として正式に認定された。原告パイパーのKZ症候群の治療は、一〇年にも及ぶが、通常の労務に耐えうる程の健康状態にまで改善せず、科学者としての経歴を失い、身体障害者として年金生活を送ることを余儀なくされている。

原告パイパーが収容されたバンドン抑留所は、組織的テロ及び被抑留者不当取扱の戦争犯罪によりバタヴィア軍法会議法廷で断罪されており、原告パイパーが被告の戦争犯罪行為の犠牲者であることは明白である。

イ 原告パイパーに対する本件加害行為のうち、抑留所における非人道的な取扱は、ヘーグ陸戦規則四六条一項に違反する。

(5) 原告アドルフ・ニコラス・ヴァン・ミリゲン・デヴィット

ア 原告アドルフ・ニコラス・ヴァン・ミリゲン・デヴィット(以下「原告デヴィット」という。)は、一九四二年六月ころ、スラバヤ中等高等学校高等部の学生であった。

原告デヴィットは、同年七月二五日、ジャワ・スラバヤのブブタン収容所に、その同月二九日からジャワの南東にあるケシリア収容所に収容された。原告デヴィットは、ケシリアに到着後、国境近くのジャングルにある竹でできた六〇人収容の小屋に入れられた。原告デヴィットは、ジャングルで木を切るなどの強制労働に従事させられた。また、原告デヴィットは、ケシリア収容所からバンジュビル収容所へ移される際、日本軍から所持金を徴収されたが、その後払い戻しを受けることはなかった。ケシリアからバンジュビルまでの移動は、鉄道及び自動車が使用された。その間、原告デヴィットは、十分な食料、飲料水、衛生用品を受給することができず、非人間的な扱いを受けた。

バンジュビル収容所では、一つの小屋を六〇人で使用した。一人当たりの占有部分は、幅約五五センチメートル程度であり、小さな部屋にはシラミがわき、大勢の人が病気に罹患したり、死亡したりした。

一九四四年二月、原告デヴィットは、チクダパテウ収容所に移された。

原告デヴィットが収容された全ての収容所は、配給、医療器具及び薬品が不足していたため、被抑留者は、特に歯科治療を受けることができず、入れ歯をしなければならない状況になった。

原告デヴィットの父親は、一九四五年、チマヒ収容所において栄養失調と飢餓により死亡し、母親も同年一〇月一四日、栄養失調と赤痢により死亡した。

原告デヴィットは、青春時代の約三年間にわたり、恐怖と抑圧の下で日本軍による強制収容を経験したことにより、精神的、肉体的に多大の損害を被った。

原告デヴィットが収容されたスラバヤ(ブブタン)抑留所及びバンドン(チクダパテウ)抑留所は、組織的テロ及び被抑留者不当取扱の戦争犯罪によりバタヴィア臨時軍法会議法廷で断罪されており、原告デヴィットが被告の戦争犯罪行為の犠牲者であることは明らかである。

イ 原告デヴィットに対する本件加害行為のうち、非人道的な取扱、強制労働に従事させたこと及び所持金を徴収したことなどは、ヘーグ陸戦規則四六条一項及び二項に違反する。

(6) 原告ヘンリ・アーノルド・ヴェイヘンバッハ

ア 原告ヘンリ・アーノルド・ヴェイヘンバッハ(以下「原告ヴェイヘンバッハ」という。)は、一九二六年一〇月六日、オランダ領東インドのクタラジャで生まれ、一九四二年六月ころ、両親及び兄弟とともに東ジャワのマランに住んでいた。

原告ヴェイヘンバッハは、一九四二年六月ころ、マラン女性収容所に収容され、強制的に清掃作業等の労働に従事させられたため、この間教育を受けることができなかった。

原告ヴェイヘンバッハは、一九四三年七月ころ、マリネ男性収容所に移された。原告ヴェイヘンバッハは、同年八月ころ、日本国旗を引き下ろした疑いで看守から二週間にわたり自白を強制される拷問を受けた。また、同年九月ころ、マリネ男性収容所の抑留者全員が日本の宣伝広告を取り外したとして炎天下の競技場で二、三日にわたり看守から拷問を受けた。原告ヴェイヘンバッハは、二、三日の拷問の後、他の少年二人とともに独房に二日間閉じこめられ、水とパンしか与えられなかった。

原告ヴェイヘンバッハは、一九四四年二月ころ、チマヒ第四、第九男性収容所に移され、野菜農場での労働を強制された。原告ヴェイヘンバッハを含む抑留者は、日常的に竹竿などで殴られた。

原告ヴェイヘンバッハは、同年七月ころ、チマヒ少年収容所に移された。原告ヴェイヘンバッハは、クニモトと呼ばれる指揮官から理由もなく竹竿や日本刀などで殴られ、同年一〇月六日には、クニモトから受けた拷問のために収容所内の病院に入院することとなった。

原告ヴェイヘンバッハは、一九四五年九月、チマヒ少年収容所から解放された。

原告ヴェイヘンバッハは、収容されていた時に受けた頭、肩、背中などに対する暴行の後遺症のために、手の震えが止まらない。また、近年は夜になると収容所時代の経験が悪夢となって現れる日々が続いている。

原告ヴェイヘンバッハが収容されていたチマヒ抑留所は、バタヴィア臨時軍法会議法廷において、組織的テロ及び被抑留者不当取扱の戦争犯罪で断罪されており、原告ヴェイヘンバッハが被告の右戦争犯罪行為の犠牲者であることは明らかである。

イ 原告ヴェイヘンバッハに対する本件加害行為のうち、非人道的取扱、強制労働に従事させたこと及び暴行等の虐待を加えたことは、ヘーグ陸戦規則四六条一項に違反する。

(7) 原告ヴァウター・ウィレム・ジェイコブス・ヘルマン

ア 原告ヴァウター・ウィレム・ジェイコブス・ヘルマン(以下「原告ヘルマン」という。)は、一九二三年九月一八日出生し、一九四二年六月ころは、学生であった。

原告ヘルマンは、同年八月一九日、スカミスキン刑務所収容所に収容され、憲兵隊等から取調や拷問を受けたほか、日本兵や朝鮮人軍属からしばしば暴行を受け、病気になっても薬が与えられなかった。

また、原告ヘルマンは、日本兵や朝鮮人軍属から、銃の柄で背中を強く突かれ、逆立ちを強制され、倒れるとまた銃の柄で背中を突かれた。その際原告ヘルマンは何度か殺されそうになった。

原告ヘルマンは、一九四三年八月、ウンガヴィ収容所に移された。食料は極めて不十分であり、また、収容人員が多すぎたため、身体、衣服を十分に洗うことができず、のみなどの害虫に悩まされた。

原告ヘルマンは、一九四四年六月ころ、チマヒ第四収容所に移された。同収容所の環境は、ウンガヴィ収容所と同様であった。

原告ヘルマンは、一九四五年一月ころ、チジャレンカ収容所に移され、乏しい食糧しか与えられないなかで穴掘り等の強制労働に従事させられた。

原告ヘルマンは、収容所における苛酷な経験のために、脊柱側湾症にかかり、現在も治癒していない。

原告ヘルマンの収容されたチマヒ抑留所は、組織的テロ及び被抑留者不当取扱の戦争犯罪によりバタヴィア臨時軍法会議法廷において断罪されており、原告ヘルマンが被告の戦争犯罪行為の犠牲者であることは、明らかである。

イ 原告ヘルマンに対する本件加害行為のうち、刑務所において拷問をするなどの虐待をしたこと、非人道的な取扱・強制労働に従事させたことは、ヘーグ陸戦規則四六条一項に違反する。

(8) 原告E

ア 原告E(以下「原告E」という。)は、一九二三年一月一四日出生し、一九四二年三月当時、高校を卒業したばかりであった。

そのころ収容が始まり、原告Eは、母親及び姉弟とともに車の展示場に閉じこめられた後、スマランにあるハルマヘイラ収容所、その後クラマット収容所にそれぞれ収容された。原告Eは、右のいずれの収容所においても、炎天下の中で点呼やお辞儀を数時間も強制され、軍靴で蹴られるなどの暴行を受けた。また、食料及び医療品は不足していた。

原告Eは、マックジラブリィのたばこ会社で働くと聞かされていたにもかかわらず、スマランのクラブで慰安婦として強制売春をさせられた。そのため、原告Eは、性病に罹患してしまい、オランダ本国に帰国後、その治癒に一年間の期間を要した。

原告Eは、一九四五年八月一五日、バタヴィアのクラマット収容所から解放された。しかし、原告Eの家族は、インドネシアでの家も店もその他あらゆる財産を失い、原告Eの父も殺されてしまっていた。

原告Eが収容されたスラマン(ハルマヘイラ)抑留所は、モロタイ臨時軍法会議法廷において、戦争犯罪で断罪されており、原告Eが戦争犯罪行為の犠牲者であることは明らかである。

イ 原告Eに対する本件加害行為のうち、非人道的な取扱、強制労働に従事させたこと、虐待をしたこと、特にスマランにおいて慰安婦として使役したことは、ヘーグ陸戦規則四六条一項に違反する。

(二) ヘーグ陸戦条約及びジュネーブ条約の性質及び本件への適用等

(1) ヘーグ陸戦条約

ヘーグ陸戦条約は、一九〇七年第二回万国平和会議において採択された条約であり、当初四四か国が調印した。ヘーグ陸戦条約は、当時存在していた国際法体系に新たな諸規則を追加したものではなく、既に確立していた国際慣習法上の規則と慣行を一層明確に確認したものとされている。

そして、ヘーグ陸戦条約とともにヘーグ陸戦規則は、その後の戦争におけるバイブル的役割を果たした。いわゆる総加入条項を定めたヘーグ陸戦条約二条の存在にもかかわらず、ヘーグ陸戦条約は、非加盟国を含むすべての国において履行を当然視されるものであり、戦争の遂行にあっては無視することができないものであった。

つまり、各国は、ヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則を遵守してきたものであり、これに反する意思を表明する国はなかった。被告も一九一一年一二月一三日、批准書を寄託することによって、ヘーグ陸戦条約に拘束されることに同意した。

このようなヘーグ陸戦条約の性質に鑑みて、ニュールンベルグ国際軍事裁判所及び極東軍事裁判所は、ヘーグ陸戦条約が第二次世界大戦時までには敵国領土の占領に関する諸規則をも内容とする陸戦に関する国際慣習法の根幹をなしていたと判示した。このように、ヘーグ陸戦条約が第二次世界大戦時までに国際慣習法の根幹となっていたことは、国家実行上も講学上も一般に受け入れられてきたことである。

また、一九九六年七月八日の国際司法裁判所の「核兵器の威嚇又は使用の合法性」に関する勧告的意見は、ヘーグ陸戦条約が、戦争に関する国際慣習法の権威ある宣言文としての性格を有することを明らかにした。

右のとおり、ヘーグ陸戦条約は、多国間条約であると同時に第二次世界大戦時までには、国際慣習法としても成立していたものであり、ヘーグ陸戦条約及びこれと同内容の国際慣習法は、第二次世界大戦の交戦当事者である被告を含めた全ての国家に対し拘束力を持つ。

したがって、ヘーグ陸戦条約及びこれと同内容の国際慣習法は、被告の軍事行動中及び占領中の軍隊の行動である本件加害行為に対して適用される。

(2) ジュネーブ条約

ジュネーブ条約は、ヘーグ陸戦条約前文にいう「一層完備シタル戦争法規ニ関スル法典」として捕虜の待遇について詳細に規定するものであり、ヘーグ陸戦規則第一款第二章を補足する(同条約八九条)。このようにジュネーブ条約も一九〇七年以前に存在していた捕虜に対する非人道的行為を禁止する国際慣習法を成文化したものである。

被告は、ジュネーブ条約について署名はしたが、批准を見合わせた。

しかし、ジュネーブ条約は、四七か国により調印され、一九四一年時点では四〇か国以上により批准されていた上、被告は真珠湾攻撃後、連合国の照会に対し、在外居住日本人を保護するための配慮から、ジュネーブ条約を「準用」する旨を一九四一年一月二九日付け在京スイス公使宛書簡で繰り返し回答した。ニュールンベルグ国際軍事裁判所及び極東軍事裁判所は、ジュネーブ条約が捕虜の保護責任を定める国際慣習法を成文化したものであることを認めている。

右のとおり、ジュネーブ条約も多国間条約であると同時に第二次世界大戦時までには、国際慣習法として成立していたものであり、ジュネーブ条約及びこれと同内容の国際慣習法は、第二次世界大戦時の被告を含めた全ての国家に対し拘束力を持つ。

したがって、ジュネーブ条約及びこれと同内容の国際慣習法は、被告の軍事行動中及び占領中の軍隊の行動である本件加害行為に対して適用される。

(3) 被告は、日本国との平和条約(以下「対日平和条約」という。)において、「極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」(同条約一一条)したのであるから、日本軍のオランダ領東インドにおける捕虜収容所及び民間人抑留者収容所での戦争犯罪行為に対し、ヘーグ陸戦条約やジュネーブ条約等戦争犯罪裁判の根拠法条となった国際法規が適用されること及びこれらの戦争犯罪の事実について国際法上異なる解釈をすることは許されない。

3  ヘーグ陸戦条約三条

(一) 総論

ヘーグ陸戦条約三条は、軍隊構成員がヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則に違反する行為をした場合に、被害者個人の違反者の所属国に対する損害賠償請求権を規定したものである。

同条は、第二次世界大戦時までには、ヘーグ陸戦法規のみならず、海戦や空戦に関する諸条約、ジュネーブ条約等の国際人道法に違反する軍隊構成員の行為により損害を被った個人の違反者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定する国際慣習法として確立していた。

(二) ヘーグ陸戦条約三条の解釈について

(1) 条約の解釈は、我が国を含む多数の国家により批准された「条約法に関するウィーン条約」(以下「条約法条約」という。)に依らねばならない。条約法条約三一条は、「条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈するものとする。」と規定し、同三二条は、「前条の規定の適用により得られた意味を確認するため」又は「前条の規定による解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合」若しくは「前条の規定による解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合」には、解釈の補足的な手段としての条約の準備作業を考慮することができると規定する。

条約法条約が定める条約解釈の手法は、憲法九八条との関係で、我が国の裁判所を拘束する。確かに、我が国が条約法条約を批准したのは、一九八一年であるから、ヘーグ陸戦条約の解釈について、条約法条約を適用することはできないとも思えるが、同三一条及び三二条は、国際慣習法を明文化したものに過ぎないと解されているから、ヘーグ陸戦条約の解釈にも適用されると解すべきである。

(2) そこで条約法条約三一条に従ってヘーグ陸戦条約三条の正文を解釈すると、同条が主として個人間の不法行為、契約違反等によって生じた損害の金銭賠償・補償を意味するcompensa-tionの用語を用いていることからいって、同条の文言自体からcompen-sationを支払う相手方が被害者個人ではなく国家であるとの解釈を導くことはできない。

むしろ、ヘーグ陸戦条約三条が「金銭賠償(compensation)」の概念を用いていることは、同条が個人の請求権を念頭に置いていることを示したものである。

すなわち、国際不法行為についての国家責任に関する理論によれば、賠償(reparation)という概念は、国際義務違反に基づく国際責任を果たすために国家が実行する様々な手段を示す概念として用いられており、そして、各事案に応じ、賠償(reparation)は、原状回復(restitution)、金銭賠償(indem-nity or compensation)、慰謝(satisfac-tion)などの形をとるのであるが、同条は、一般的な「賠償(reparation)」という概念を用いず、特に「金銭賠償」を意味するcompensationという概念を用いている。このことから、同条により損害賠償を請求することができるのは、戦争法違反によって損害を被りそのことに対して賠償請求を求める個人犠牲者であるとの解釈が導けるのである。

(3) ヘーグ陸戦条約三条の解釈をより明確にするためには、条約法条約三二条に従って、その準備作業を詳細に検討することが必要である。

同条の起草過程から明らかになる同条の目的は、軍隊の構成員が犯した全ての戦争法規違反行為に対する交戦国の責任についての既存の国際慣習規則を再確認すること及びこのような違反があった場合、交戦国は、違反により被害を被った個人に対し賠償金支払義務を負うということを明らかにすることにあった。

ア 第二回万国平和会議では、まず、陸戦の法規慣例に関する一八九九年七月二九日の条約(以下「一八九九年ヘーグ陸戦条約」という。)には交戦国の軍隊がした行為についての交戦国の責任が定められていないことが確認された。一八九九年ヘーグ陸戦条約は、締約国が、その軍隊に対し、同条約の付属規則に適合する訓令をすべきことを義務付けていたが、その違反防止のための規定を持たなかったのである。

そこで、ドイツ代表は、右会議の席上において一八九九年ヘーグ陸戦条約中に特別規定を設けることで、その欠陥を補完すべきことを提案した。

すなわち、ドイツ代表は、規則違反による被害が通常政府の直接の不法行為の結果とはいえないことから、政府が賠償責任を負担するための要件から政府の主観的不法性を除外する必要がある旨強調し、軍隊構成員の規則違反による被害を全て政府に賠償させるために、ベルギー及びフランス民法における「使用者は、その係員又は機関の責任を負うという私法の原則」を国際法にも及ぼすべきであるとして、第一に、交戦当事国のヘーグ陸戦規則違反行為により損害を被った中立国の被害者個人に対し、当事国は直ちに賠償を行うとの規定、第二に、同様の行為による被害者が交戦の相手国の個人である場合には、当事国は、戦争終結後に賠償を行うとの規定の二つを創設することを提案した。

イ ヘーグ陸戦条約三条の審議過程において提起された唯一の問題は、賠償の時期について、中立国の国民と敵国の国民との間で、前者はできる限り早急に、後者は平和条約締結後にといった区別を設けることの当否にあった。ヘーグ陸戦条約三条の効果については、起草過程において、トルコを除けば意見を表明した各参加国は、ヘーグ規則の違反行為により損害を被った被害者が責任ある政府に対し直接補償を請求する権利を認めることを争わず、いくつかの参加国は、右個人の権利を強調しさえした。例えば、ドイツ代表は、提案した規定の趣旨について、士官や一兵士による違法行為により損害を被った個人が、その士官や兵士の所属する国家の政府に対し、直接補償を求めることを認めたものであると宣言している。また、スイス代表は、ドイツ提案は損害を被った個人に補償を求める権利を与えたものであると解釈している。

結局審議を経て最終的には、中立国の国民と敵国の国民との間で賠償方法に差異を設けないこととされたが、その後は、いかなる参加国も損害を被った個人が直接加害国に対し損害賠償を求めることができるとすることについて再び問題とすることはなかった。

以上の起草作業からすると、ヘーグ陸戦条約三条に基づく損害賠償請求権を有するのは、損害を被った個人であることが明らかである。

(4) 以上のとおり、条約法条約に従い、ヘーグ陸戦条約三条を解釈すれば、同条で賠償すべき損害は個人の損害であり、加害国が賠償すべき相手方は、国家ではなく被害を被った個人であること及び同条の真の目的は、使用者責任に関する民事法上の法理を戦時における国家の責任に対しても及ぼすことにあることが明白となる。

(5) ところで、右会議においてドイツ代表の提案した規定は、具体的には「第一条 この規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は、その者に対して生じた損害を賠償する責任を負う」というものであった。

ヘーグ陸戦条約三条から右の「その者に対して」の文言が抜けているのは、単なる用語の使用方法の問題である可能性が大きい。

すなわち、ドイツ民法においては不法行為責任を規定する条項の中で賠償すべき相手方に対する記載が明確にされているのに対し、フランス民法においては賠償すべき相手方に対する記載が全くされていないところ、だからといって、フランス民法における賠償義務の相手方が権利の侵害を受けた者であることは明らかであって、そのことについて何ら疑問は生じない。ヘーグ陸戦条約の正文は仏文であり、フランス語らしい表現をしたため相手方を特記しなかったことは十分に考えられることであり、条項の中に相手方の記載がないことをもって、ヘーグ陸戦条約三条が個人に対する損害賠償請求権を規定したとの解釈が左右されることはない。

(三) 被告の主張に対する反論

(1) 国際法上個人が権利義務の主体となるためには、個人が国際法上の手続手段を有しなければならないとする学説があることは認めるが、そのような立場は、支配的ではないし、国際司法機関によって、採られている立場でもない。国際法の学説では、個人が国際法上の権利義務の主体とされることと、個人に手続上の権利が与えられることとは、直接関係ないとする立場が有力であり、国際法律家委員会(ICJ)もこの学説を支持している。実体的権利能力と手続上の権利能力は別個のものであり、前者が国際法上認められていれば、後者の不足をもって、個人に国際法上の権利主体性がないとすることはできない。

そして、戦争法規は、国際法上個人の権利主体性が認められる典型的な場面であり、戦争法規にあっては、一般的に個人が国際法の主体と認められ、戦争法規違反の場合に刑罰の対象となるばかりではなく、賠償や補償について、条約によって規定された手続規定がなくとも、国内法上の裁判手続を利用して国家に対し請求することが認められている。この点については、個人を国際法の主体と認めて軍事占領中個人に対して賠償を行った広範な実行例が存在する。

(2) 被告は、ヘーグ陸戦条約三条は、国家間の賠償責任を定めたものと主張する。

しかし、交戦国間の賠償責任については、一九〇七年当時、平時における国際慣習法である国際法義務違反によって損害を蒙った場合国家間で損害の賠償を求めることができるとの法理とは全く別の法理である戦時賠償の法理が、国際慣習法として成立していた。戦時賠償の法理は、敗戦国の国際法違反の事実も、実質的損害の発生も全く問題とせず、戦勝国をより富ませ、若しくは敗戦国を罰すること、又はその両方を目的とするものであった。ヘーグ陸戦条約三条を戦時における国家責任を導入したものと解するならば、戦勝国も国際法違反があれば敗戦国に賠償を支払わなければならないことになるなど右の戦時賠償の法理を排除することになるが、同条の制定過程ではこのような重大なことについて全く審議されていない。

また、同条を戦時賠償の法理を規定したものに過ぎないとするならば、同条は特に敗戦国の国民にとって全く実効性のない規定となってしまうし、同条は国際法上たいして意味を持たないものとなってしまう。

確かに、ヘーグ陸戦条約三条第二文は、その行為に対して国家が責任を負うべき機関又は構成員の犯した国際法違反行為により、ある国家が他の国家に対して負うべき責任である国家責任の原則をも定めるようにも読めるが、仮に同条第二文が国家責任を定めたものであるとしても、そのことにより同条の個人救済の性格が失われることはない。国家責任の原則における請求者は、国際法の規則違反により損害を被った国家である。ただ、国家責任により国家間の請求権を発生させる国際不法行為は、同時に個人の法的利益の侵害をも構成するのであり、その場合、個人は、責任を負う国家に対し損害賠償を請求することができる。国際法上国に対する賠償と個人に対するそれとは次元を異にするものであり、例え国に対する賠償が個人の損害を賠償の尺度とするものであっても両者を別のものと考えなければならないことは、確立した国際法の解釈である。

したがって、同条についての被告の右解釈は採用することができない。

(3) 被告は、国際人道法に違反する行為をした者を構成員とする国家が、右違反行為により被害を被った個人に対し、直接損害賠償責任を履行するといった国家実行が反復された事実はないから、国際人道法違反行為により被害を被った個人が違反者の所属する国家に対し直接損害賠償請求をすることができるとする国際的慣行の成立は認められないと主張するが、右国家実行がないとの主張は、次のとおり歴史的事実に反するものである。

ア 第一次世界大戦後に締結された平和条約には、被害者個人に対する賠償に関する規定が含まれていた。

すなわち、ヴェルサイユ条約二三一条、同二三二条及び同二九七条、サンジェルマン条約一七七条、ヌイイー条約一二一条等は、文民又は捕虜などの身体、財産に対する損害について、国家は民事責任を履行しなければならないと定めている。そして、これらの条約を実施するために、賠償委員会や混合仲裁裁判所が設けられ、これらの機関に対しては個人にも出訴権が認められた。これらの機関は、一九三二年に解散されるまでに、全体で一〇万件以上の事件を処理したとされている。

また、第二次世界大戦後の実行例としては、イタリアとフランス、イタリアとアメリカとの間で、それぞれの国民が補償請求をするために補償委員会が設置されたし、ドイツにおいては、被害者を代表する「国際ユダヤ人組織」や「世界ユダヤ人会議」とドイツ政府との間にいくつもの協定が締結され、賠償が実行されてきた。

イ ①海戦法規における敵国沿岸漁船の違法な捕獲に伴う賠償・補償の支払請求、②戦時における中立国国民の財産の特別徴用に対する補償請求、③ヘーグ陸戦規則五二条の徴発に伴う市民の支払請求について、国家間の特別の合意なしに、個人(法人を含む)が国際法の主体として国内裁判手続により請求することを認めた外国の裁判例がある。

ウ ドイツ・ミュンスター行政控訴裁判所判決の事案は、ヘーグ陸戦条約三条に基づき、一般住民が個人として裁判上の請求をし、これが認められた事例である。

エ 一九五六年六月一日にオランダ日本間で発効した「オランダ国民のある種の私的請求権に関する問題の解決に関する日本国政府とオランダ政府との間の議定書」の第一条は、同議定書の標題中の「オランダ国民のある種の私的請求権」との文言に照らして明らかなように、第二次世界大戦中の日本国の行為の結果、オランダ国民が被告に対して直接の賠償請求権を有するに至ったことを前提としている。これは被告を相手方とする個人請求権が発生したことを国家レベルで認知したことを示す明白な国家実行である。

オ 右のとおり、国家が被害者個人に対して賠償を支払った極めて多数の実行例が存在する。

(四) ヘーグ陸戦条約三条の国際慣習法化

ヘーグ陸戦条約三条は、一九〇七年に新規の条約法として導入されたものであるが、第二次世界大戦時までには、同条は国際慣習法の一部となっていた。

すなわち、同条はもともと一般化可能な規則である上、一九〇七年一〇月一八日に参加四一か国がヘーグ陸戦条約の署名をした際、同条を留保したのはトルコ一国のみであったし、原告らに対する国際人道法違反行為がされた一九四一年以前にヘーグ陸戦条約を批准した国は三一か国にのぼり、その中に第三条を留保した国はなく、これらの国々には我が国も含めて当時の文明諸国のほとんどが含まれていた。

そして、ヘーグ陸戦条約の発効後、被告の国際人道法違反行為が行われた一九四一年までには同条が慣習法化するのに十分な三一年もの期間が経過していた。

また、同条は、国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書九一条にほぼそのままの形で取り入れられているが、これは、同条が全ての国家にとって慣習法として受け入れられたことを意味している。

したがって、同条は、第二次世界大戦時までには、既に国際慣習法として、ヘーグ陸戦規則のみならず、海戦や空戦に関する諸条約、ジュネーブ条約等の国際人道法の違反行為について加害国の被害者個人に対する損害賠償を義務付ける一般的規定として確立していた。

(五) 以上から、ヘーグ陸戦条約及び同条と同内容の国際慣習法は、日本軍構成員のヘーグ陸戦規則及びジュネーブ条約違反の行為により被害を受けた原告ら個人の被告に対する損害賠償請求権を規定したものということができる。

4  ヘーグ陸戦条約三条の自動執行力ないし国内直接適用性

(一) 我が国の憲法九八条二項は、条約のみならず国際慣習法も含めた国際法が、国内における立法等を経ずに当然に国内において効力を有することを規定するし、大日本帝国憲法下でも条約は公布により当然国内において効力が認められていたし、国際慣習法も同様に扱われていた。

したがって、ヘーグ陸戦条約、ヘーグ陸戦規則及びジュネーブ条約並びにこれらの条約と同内容の国際慣習法は当然に我が国国内において効力を有する。

もっとも、国際法が個人の請求の基礎となるためには、国内において効力を有するのみならず法規範の内容として権利の発生要件及び効果が明確でなければならないが、ヘーグ陸戦条約、ヘーグ陸戦規則及びジュネーブ条約並びにこれらの条約と同内容の国際慣習法は、国内において適用することができる程度に明確である。

国際法の国内直接適用性について、ダンチッヒ裁判所の管轄権に関する常設国際司法裁判所の勧告的意見は条約の国内直接適用可能性を認めているし、我が国の裁判所の裁判例の中にはヘーグ陸戦規則の国内法としての直接適用を認めたものも存在する。

(二)(1) ヘーグ陸戦条約三条は、前記のとおり、軍隊構成員による国際人道法違反により損害を被った個人の違反者の所属する国家に対する損害賠償請求権を規定したものであるところ、同条には、右権利を実現するための手続制度に関する定めがない。

しかしながら、同時に、同条は、相手国裁判所に対して、損害賠償請求訴訟を提訴することを排除していない。

ところで、損害賠償支払義務を負う「交戦当事者」である相手国は、和平の回復とともに交戦当事者としての地位を失うが、このことは、一度発生した被害者個人の相手国に対する損害賠償請求権を喪失せしめるものではない。損害を被った個人は、相手国に対する損害賠償請求権を、武力紛争後も引き続き保持し続ける。

そして、個人が損害賠償請求権の満足を得るためには、相手国裁判所への提訴が認められなければならない。相手国裁判所は、相手国が同条に基づく個人に対する義務を履行するのに適切な場所である。

相手国裁判所への提訴が認められるべきことは、ある請求事項について条約により混合仲裁裁判所が設立されたか否かに左右されない。条約による混合仲裁裁判所の設置は、個人の権利を新たに創設するものではなく、もともと個人が保有している権利の行使方法を国際的な手続段階に移行させたものに過ぎないのである。

(2) ヘーグ陸戦条約三条は、自動執行力を有しているから、同条を日本国内において適用するために、国内における立法措置は必要なく、同条は、そのまま裁判規範となる。

確かに、同条の文言にもその起草過程の議事録にもこの点についての言及はないが、条約の文言や制定会議の議事録が、その条約の規則の自動執行力について明示的に言及することはほとんどないから、同条の自動執行力の有無は、その起草過程及びヘーグ陸戦条約実行のための同条の重要性から検討する必要がある。

ところで、条約の解釈は条約当事国の意思によって決まるが、この当事国の意思は条約上に具体的に表明される必要はない。明示されない当事者意思も解釈の対象となる。

ヘーグ陸戦条約三条は、戦争法違反の犠牲者個人に奉仕するものであるから、個人が請求権を行使するに当たって技術的な障害に窮することなく相手国裁判所に提訴することができるとすることが起草者の意思であったことは、同条の制定経過から疑いの余地がない。また、同条が、軍隊の行動に対する国家の責任という観念の実行における本質的要素であることからすれば、同条の効力が、それぞれの国家の内国政府の立法に依存していると解することは不可能である。

そして、同条は、我が民法の不法行為の一般原則を定める民法七〇九条及び国の不法行為責任を認める国家賠償法一条と比較しても、法規範としての明確性において劣るとはいえない。

(3) なお、ヘーグ陸戦条約三条に基づく請求を相手国裁判所に提訴すべき期間に特別の制限はない。

そもそも権利発生から一定期間経過した後の請求を禁じる法理は、国際法上存在しない。このことは、ヘーグ陸戦条約を含む国際法一般において、国際法違反により生じる請求を提起すべき期間に制限を設けていないことから明らかである。

したがって、時間の経過は、原告らの請求を妨げるものではない。

5  対日平和条約について

一九五一年の日本国との平和条約(以下「対日平和条約」という。)は、連合国諸国の被告に対する請求権を放棄したものであるが、連合国の国民に直接帰属する被告に対する請求権を放棄するものではない。

対日平和条約は、個人の権利には何らの影響を与えないのであり、右条約により、個人は、被告に対する請求を公式の請求として採り上げることを本国に期待できなくなるに過ぎない。

対日平和条約が個人に直接帰属する請求権を放棄するものでないことは、対日平和条約締結以前に締結された一九四九年のジュネーブ諸条約において「いかなる特別協定も、この条約で定める捕虜の地位に不利な影響を及ぼし、又はこの条約で定める捕虜に与える権利を制限するものであってはならない。」との規定があったことからも明らかである。

6  原告らの損害

(一) 原告らが捕虜収容所又は民間人抑留者収容所において受けた前記被害は、虐待の結果死亡した人々に勝るとも劣らない筆舌に尽くしがたい甚大なものであり、これによる原告らの精神的損害を金銭に見積もれば、各原告につき、少なくとも金二万米国ドルを下らない。

(二) 本件は、前例のない国際的訴訟であり、弁護士に訴訟の遂行を委任する必要があるから、請求額の一割に相当する弁護士費用も原告らの損害として被告が賠償する必要がある。

7  結語

よって、原告らは、被告の前記記載のヘーグ陸戦規則及びジュネーブ条約の各違反行為により被った損害の賠償をヘーグ陸戦条約三条及び同条と同内容の国際慣習法に基づき請求する権利を有する。

二  被告の主張

1  ヘーグ陸戦条約三条の解釈について

(一) 国際法としての条約と個人の関係について

条約は、国際法の一形式であり、国家間の関係を規律し、国家の権利・義務を定めるものであるから、原則として、個人は国際法上の法主体とはなり得ない。

もっとも、条約上具体的に個人の権利が規定されており、さらに、国際機関その他特別の国際制度による救済手続が設けられている場合においては、例外的に、個人が直接に当該権利を主張することができる。

(二) 条約当事国の意思は条約文に表明されていることから、条約の解釈としては、なによりもまず条約文の用語の自然又は通常の意味内容により客観的に解釈すべきである。ヘーグ陸戦規則の規定に違反した交戦当事者がその損害を賠償する責任を負う旨を規定するヘーグ陸戦条約三条は、その文言上、個人が直接自己の権利を主張する国際法上の手続を保障していないばかりでなく、そもそも個人の権利一般について何ら規定していないことに照らせば、同条は、国家の国際違法行為(国際法上の義務に違反する行為)は当該国家の国際責任を生ぜしめるという国際法の原則のとおり、国家間の権利義務関係を定立したものに過ぎず、交戦当事者が個人に対して賠償責任を負うことを定めたものと解することができない。

(三) ヘーグ陸戦条約三条を含めた法制度に対する一九五二年当時の赤十字国際委員会の見解も「被害者が、違反行為を行った者が所属していた国に対して個人として訴訟を提起することは、少なくとも現存の法律制度の下においては想像しがたいことである。」というものであり、右の解釈の正当性を裏付けるものである。

また、当事国が条約上の権利義務の意味と範囲を具体的にどのように理解しているかを示す証拠として、条約締結後に当事国の間で行われた合意や慣行などの国家実行を考慮しうるが、ヘーグ陸戦条約が作成され約九〇年が経過した現在に至るまでの間、同条に基づいて個人に対する損害賠償が実行された例は皆無である。

原告らは戦争法規が個人に直接適用された事例を種々挙げて右実行例につき主張をするが、それらの事例の事実関係、請求原因、当該国の国内法制度等は必ずしも明らかではない。原告らは、ドイツ・ミュンスター行政控訴院判決を指摘し、ヘーグ陸戦条約三条に基づく個人の請求が認められたケースであると主張するが、やはり事案の内容が必ずしも明確でなく、判決の要旨からすると訴訟の請求原因がヘーグ陸戦条約三条に基づくものとはいえないものと思われる。

原告らは「オランダ国民のある種の私的請求権に関する問題の解決に関する日本国政府とオランダ政府との間の議定書」はオランダ国民の被告に対する直接の賠償請求権の発生を国家レベルで認知したことを示す明白な国家実行であるなどと主張するが、右議定書第一条はオランダ国民の我が国政府に対する直接の損害賠償請求権を定めたものではないことは、同条の文言から明らかであるし、右議定書の作成がヘーグ陸戦条約三条に係る国家実行に該当しないことも明らかであり、右主張には理由がない。

(四) ヘーグ陸戦条約三条の起草過程について

(1) 原告らは、ヘーグ陸戦条約三条の起草過程を根拠に、同条が被害者個人の加害国に対する損害賠償請求権を認めたものであると主張する。しかし、条約文の審議過程あるいは提案者の意思といった条約の準備作業の内容を探ることは、条約文があいまい又は不明確等の場合に補足的な解釈手段として認められる場合があるが、条約文言上国家間の権利義務を定めていることが明らかで、また、国家実行上もそれが裏付けられている同条の場合は、条約の準備作業に関する事情を考慮することは不要である。また、原告らが指摘する条約法条約の諸規定が同条の約六〇年前に締結されたヘーグ陸戦条約の解釈規範として直ちに適用されるかどうかについては、条約法条約四条が同条約の不遡及を規定していることから議論があるところである。

(2) 仮に、ヘーグ陸戦条約三条の審議経過を検討しても、これにより同条が交戦当時国の被害者個人に対する直接の損害賠償責任を認めたものと解釈することはできない。

すなわち、第二回万国平和会議におけるヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則の改正作業において、ドイツ代表は、各国軍隊構成員にヘーグ陸戦規則を遵守させるためには、訓令違反を理由とする軍事刑罰法規による処罰だけでは不十分であることを指摘した上、右規則に違反する行為による損害に対する新たな国家責任の考え方を同規則の中に導入することを目指した。つまり、ドイツ提案は、軍隊構成員がその資格において行ったヘーグ陸戦規則違反の一切の不法行為について、当該構成員所属の国家が責任を負うものとしたもので、指揮命令系統下における行為という責任帰属の要件をはずし、いわば私法上の使用者責任類似の責任を認めた画期的なものであった。

つまり、ドイツ提案は、①個人に生じた損害を請求の対象として取り上げること及び②使用者責任の観点から、政府はその軍隊に属する者の一切の不法行為について責任を負うことを主眼としたものであった。

しかしながら、ドイツ提案をめぐる審議経過をみても、個人に生じた損害の救済をいかなる方法で具体化し、実現していくかについての記載は審議録上見当たらない。個人に生じた損害を賠償の対象とするということと、その損害の賠償がいかなる方法で実現されるかということとは、国際法上、全く別の問題であり、右①及び②について肯定したからといって、このことが直ちに個人の具体的請求権の成立を意味するとはいえない。

(五) 原告らは、ヘーグ陸戦条約三条の英文にcompensationの語が用いられていることを同条が被害者個人の損害賠償請求権を規定したとする根拠としている。

しかし、ヘーグ陸戦条約の正文は仏文であり、そこには、「賠償」を示す語としてindemnitの語が用いられている。

また、原告らは、compensationの語が主として個人間の不法行為、契約違反等により生じた損害の金銭賠償・補償を意味すると主張するが、国際法上、compensationという語は、広義においては、国家が国際法に違反して他国の法益を侵害した場合に、被害国の被った損害を加害国が補填する行為全般を意味し、金銭賠償だけではなく原状回復や陳謝も含まれ、狭義においては、もっぱら金銭賠償のことを指し、また、特に、敗戦国と戦勝国との間の戦争賠償を意味する用語としてwar compensationという語も使われ、更に、実際にも対日平和条約等において国家間の戦争賠償を意味する言葉としてcompensate(compensationの動詞)という語が使用されていることに照らせば、右主張は理由がない。

2  条約及び国際慣習法の国内直接適用可能性ないし自動執行性について

(一) 原告らの請求の根拠であるヘーグ陸戦条約三条は、国家間の賠償責任を定めた規定であり、個人の損害賠償請求権を定めたものではないし、また、国際人道法違反について個人が加害国に対し損害賠償請求権を持つとする国際慣習法も成立していない。したがって、原告らの根拠とする国際法は、国内直接適用ないし自動執行性の要件を検討する前提を欠く。

(二) 仮に、原告らの主張を前提として、原告らの根拠とするヘーグ陸戦条約三条及び国際慣習法の国内直接適用ないし自動執行性について検討するとしても、原告らの主張は次のとおり失当である。

(1) 条約が国内法としての効力を持つに至っても、それだけでは裁判所等の国家機関がこれをそのまま国内法として適用できるわけではない。条約は、国家間の権利義務関係を定立することを主眼としており、条約の内容が私人相互間又は私人と国家間の法律関係に直接適用可能なものとして裁判所等の国家機関を拘束するためには、原則として国内における立法等の措置が必要である。

確かに条約の中には、少数であるが、国内法による補完・具体化がなくとも内容的にそのままの形で国内法として実施できるような規定も存在する。しかし、条約のいかなる規定がそのままの形で国内法として実施可能な自動執行力を有するものであるかは、当該条約の個々の規定の目的、内容及び文言並びに関連する諸法規の内容等を勘案し、具体的場合に応じて判断しなければならない。そして、右判断に当たっては、第一に、「主観的要件」として当該条約の作成等の過程の事情により、私人の権利義務を定め、直接に国内裁判所で執行可能な内容のものにするという締結国の意思が確認できること、第二に、「客観的要件」として、私人の権利義務が明白、確定的、完全かつ詳細に定められていて、その内容を具体化する法令にまつまでもなく、国内的に執行が可能であること等が必要である。特に、国家に一定の作為義務を課したり、国費の支出を伴うような場合には、事柄の性質上、権利の発生等に関する実体的要件、権利の行使等に関する手続的要件等が明確であることが必要である。

(2) したがって、ヘーグ陸戦条約三条が本件訴訟において原告らの請求の法的根拠となるためには、右主観的要件及び客観的要件を具備することが必要となるが、同条は、主観的要件及び客観的要件のいずれも具備していない。よって、ヘーグ陸戦条約三条に国内直接適用可能性ないし自動執行力を認めることはできない。

3  国際慣習法について

原告らは、第二次世界大戦時までに国際人道法違反による損害について、被害者である個人が加害国に対して損害賠償を請求することを認める国際慣習法が成立していたと主張する。

ところで、国際慣習法とは、「法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習」(一九四五年国際司法裁判所規程三八条一項B)をいい、その成立要件としては、諸国家の行為の積み重ねを通じて一定の国際的慣行(一般慣行)が成立していること及びそれを法的な義務として確信して行うという諸国家の信念(法的確信)が存在することが必要である。

しかしながら、そもそも原告らの主張にかかる国際慣習法の成立の根拠であるヘーグ陸戦条約三条は、個人の損害賠償請求権を定めた規定ではないので、原告らの主張は既に前提を欠くものであるし、国際人道法に違反する行為をした者を構成員とする国家が右違反行為の被害者個人に対し直接損害賠償を行った事例は存在しないので、一般慣行自体が存在せず、法的確信が成立する余地もない。

したがって、原告らの主張する国際慣習法の成立を認めることはできない。

4  結語

以上のとおり、原告らの請求はいずれの点から検討しても理由がない。

第四  当裁判所の判断

一  本件の争点

証拠(ヘラルド・ユングスラーガー原告本人、ヴァウター・ウィレム・ジェイコブス・ヘルマン原告本人、甲五ないし八、二二、二三、四五)及び弁論の全趣旨によれば、前記第三、一2(一)において記載したとおりの原告らが主張する原告らの各被害事実を認めることができる。

したがって、本件における原告らの請求の当否は、我が国の裁判所において、ヘーグ陸戦条約三条ないし同条と同内容の国際慣習法を根拠として、国際人道法に違反する軍隊構成員の行為により損害を被った個人が、違反者の所属する国家に対して損害賠償を請求できるかという点にかかっており、本件の争点も右の点にある。以下、この点について判断する。

二  右争点に対する判断

1  ヘーグ陸戦条約は、一九〇七年一〇月一八日にオランダのヘーグで署名され、被告は、同条約を一九一一年一一月六日に批准し、一九一二年一月一三日に公布したものであるところ、同条約の三条は、「前記規則(ヘーグ陸戦規則)ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ、損害アルトキハ、之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ、其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ。」と規定する。

右同条の文言によれば、同条が、軍隊構成員が公務遂行中に行ったヘーグ陸戦規則違反の行為について、違反者の所属する国家が賠償義務を負うことは明らかである。しかしながら、同条は、賠償の対象となる損害の帰属主体、賠償の相手方、支払方法等については明確に規定していない。

2(一) ところで、本来的に国際法とは、国家間に妥当する法体系であり、国際法上の規則は、原則として国家間の権利及び義務を定めるものである。

そして、国際法上の義務に違反する行為をおかした国は、全て国際法の原則としてその行為により法益を侵害された国に対して国家の国際責任を負うことになるところ、一般的には、ある国の国際法上の義務に違反する行為により個人が被害を被った場合であっても、国際法上はその被害はその個人の属する国の損害と観念されることになるため、その被害者個人自身については、本国の外交保護権の行使によって間接的な救済を受けることができる場合があるに過ぎないものと解される。

もっとも、国際法は本来的には個人の権利及び義務を直接に定めるものではないとしても、現在、人権条約等、極めて例外的には、個人に対して権利を付与することが明確に規定されている条約の存在も認められるのであるから、国際法という法形式であるということのみから直ちに個人の権利ひいては民事上の請求権等がそこに規定されることはあり得ないと結論づけることはできない。

しかしながら、そのような例外的な条約については、個人が権利を持つための特別の国際法上の手続や制度が併せて具備されている場合がほとんどである。

(二) また、我が国においては、一般に条約は公布により当然に国内的効力を有するものとなるが(憲法七条一号、九八条二項参照)、ある条約が、国内法による補完、具体化といった特定の措置を設けることなく直接個人の権利義務関係を規律するものとして国内の裁判所において適用可能であるというためには、前記のような国際法の本来的な性格にも鑑みて、当該条約によって規律される個人の権利義務内容が条約上明確に定められており、かつ、条約の文言及び趣旨等から解釈して、個人の権利義務を定めようという締約国の意思が確認できることが必要であると解されるところ、とりわけ、国内裁判所において個人の国家に対する民事上の請求権の発生根拠として直接に適用が可能であるというためには、司法と立法の権力分立及び法的安定性等の観点から、当該条約において個人の国家に対する請求権の内容につき一層の明確性が存することが必要となるものと解される。

3  以上の点を踏まえた上で、ヘーグ陸戦条約三条の意味するところについて検討する。

(一)  一般に条約の解釈は、その条約の発効時における条約解釈のための規則に従ってなされるべきものと解されるところ、ヘーグ陸戦条約発効時の一九一〇年ころにおける条約の解釈方法について一般的な明文規定は存在しない。

しかし、当時の条約解釈規則が国際司法裁判所の判決等を通じて後に精緻化されたものが条約法条約であると解され、したがって、当時の条約解釈規則と条約法条約はその趣旨・内容において近似しているものと思われるから、ヘーグ陸戦条約三条の解釈は、右条約法条約が明らかにするところの条約の解釈方法に準じて行うべきものと解する。

そこで、条約法条約の各規定についてみるに、条約法条約三一条一項は、「条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈するものとする。」と規定し、同三二条は、「前条の規定の適用により得られた意味を確認するため」又は「前条の規定による解釈によって意味があいまい又は不明確である場合」若しくは「前条の規定による解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合における意味を決定するため」には、解釈の補足的な手段として条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる旨規定する。

これらの規定からすれば、一般に条約の解釈の基本はあくまで条約本文の客観的意味を確定することであるというべきところ、そこでヘーグ陸戦条約三条の文言をみるに、前述したように同条は加害国が損害賠償責任を負うことのみを規定し、賠償の実施方法についての記載はもとより、個人が損害賠償請求権を保有することについてはおろか個人に関する文言すら全く記載がされていないことが窺える。また、ヘーグ陸戦条約全体を検討してみても、個人が損害賠償請求の主体となること及び個人がそれを行使することができることを窺わせるような規定は全く存在しない。

(二)(1)  もっとも、補助的な手段としてではあるが、条約の解釈においてその準備作業を考慮する余地はあると解されるので、ヘーグ陸戦条約三条の解釈に当たっても、その起草過程について補足的に検討することとする。

(1) 証拠(乙三)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

ア ヘーグ陸戦条約三条は、一九〇七年の第二回万国平和会議において審議、採択された。

イ 一八九九年のヘーグ陸戦条約及びこれに付属する陸戦規則の改正作業に当たっていた一九〇七年第二回万国平和会議第二委員会第一小委員会において、ドイツ代表団は、陸戦法規の違反があった場合の賠償に関する規定を制裁条項として付加することにより陸戦規則を補完することを目的として、次の提案をした。

「第一条 この規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は、その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う。交戦当事者は、その軍隊を組成する人員の一切の行為に付き責任を負う。

現金による即時の賠償が予定されていない場合において、交戦当事者が生じた損害及び支払うべき賠償額を決定することが、当面交戦行為と両立しないと交戦当事者が認めるときは、右決定を延期することができる。」

「第二条 (同規則の)違反行為により交戦相手側を侵害したときは、賠償の問題は、和平の締結時に解決するものとする。」

ウ 右提案についてのドイツ代表のフォン・ギュンデル幕僚長による説明の概略は、およそ次のとおりであった。

「一八九九年ヘーグ陸戦条約によれば、各国政府は、その軍隊に対し、同条約付属規則の規定に従った訓令を出す以外の義務を負わない。これらの規定が軍隊に対する命令の一部になることに鑑みれば、その違反行為は軍事刑罰法規により処断される。しかし、この刑事罰則だけでは、あらゆる個人の違反行為の予防措置とはならないことは明らかである。そこで、右規則違反による損害の賠償について検討する必要があるが、国家の責任を過失責任の法理によらしめるとすれば、国家に、その管理・監督上の過失が認められない場合がほとんどであろうから、損害を受けた者は、政府に対し賠償を求めることができないし、違法行為を行った士官又は兵士に対して、賠償を求めたとしても、多くの場合は賠償を得ることができないであろう。したがって、我々は、軍隊の構成員が行った規則違反による一切の不法行為責任は、その者の属する国の政府が負うべきであると考える。そして、その責任、損害の程度、賠償の支払方法の決定については、中立の者の場合は、交戦行為と両立する最も迅速な救済のための措置を講じるものとし、敵国の者の場合は、賠償の問題の解決を和平回復時まで延期することが必要不可欠である。」

エ ドイツ代表の右提案のうち、交戦国の市民と中立国の市民との間に区別を設けていた点が問題となった。すなわち、両者とも権利の侵害があり、規則上救済は同一であるべきなのに、右提案は、交戦国の市民に対し、いかなる権利も認めていないとの批判が出された。これに対してドイツ代表は、両者の間に権利の違いを設ける意図はなく、右提案は、賠償の支払方法を規定するものに過ぎないとの回答をした。

オ 以上の検討を経て、第二委員会が、ドイツ提案を「本規則の条項に違反する交戦当事者は、損害が生じたときは、損害賠償の責任を負う。交戦当事者は、その軍隊を組成する人員の一切の行為に付き責任を負う。」という規定にまとめ、これが総会において、全会一致で採択され、最終的に、規則中ではなく、条約の本文としてヘーグ陸戦条約三条として盛り込まれた。

(3)  右認定の事実によれば、ヘーグ陸戦条約三条の起草過程において、同条が損害を被った個人の救済をも目的としていたことについては認められるものの、同条の起草の審議過程において、同条を被害者個人から加害国へ直接に損害賠償の請求ができるような規定として制定しようとする意思を参加国が有していたこと、ひいてはそのような規定として制定することについての参加各国の合意がなされたことを窺わせるような参加各国代表の発言等があったというような事実を認めることはできない。むしろ、乙三によれば、同条の起草の審議過程において、スイス代表団が「中立の者に対する賠償の支払は、責任ある交戦国が被害者の国とは平時にあり、また、平和な関係を維持しており、両国はあらゆるケースを容易にかつ遅滞なく解決し得る状態にあるため、大抵の場合、即時に行い得るであろう。このような容易さないし可能性は、戦争という一事により、交戦国同士の間では存在しない。賠償請求権は中立の者と同様各々の交戦国の者についても生じるが、交戦国同士の間での賠償の支払は、和平を達成してからでなければ決定し実施することはできないであろう。」と発言し、これに対して、ドイツ代表のフォン・ギュンデル幕僚長が、自分自身もできない最高の弁明をしていただいたと謝意を述べたことが認められることに照らせば、当時、各国とも被害者個人の救済については、国際法の原則どおり外交保護権の行使によることを当然の前提としていたのではないかとの推測もできるところである。

これらの事情に加え、そもそも条約の準備作業の参照は条約解釈の補助的な手段に過ぎないとされていることをも考慮すれば、ヘーグ陸戦条約三条の起草過程は、同条の解釈に当たって、条約文の文言自体からなされる解釈にほとんど影響を与えるものではないと解される。

(三)(1)  また、条約法条約三一条三項が、条約の解釈に当たり条約の文脈とともに、「条約の適用につき後に生じた慣行であって、条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの」を考慮すると定めているように、一般的に、条約の解釈においては条約に基づいてとられた当事国の行動を考慮することができるものと解されるところ、証拠(フリッツ・カールスホーベン証人、甲三、乙四、一〇)によれば、ヘーグ陸戦条約三条を根拠にして、各国の内国裁判所において被害者個人の加害国に対する請求が認められた実行例は、現在に至るまでほとんどないことが認められる。

(2) 原告らは、ドイツ連邦ミュンスター行政控訴裁判所一九五二年四月九日判決の事例(甲三六)を引用し、ヘーグ陸戦条約三条を根拠に個人の国家に対する損害賠償請求権が認められた事例であると主張するが、右判決の事案は、イギリス軍占領地域においてイギリス占領軍の使用する自動車により重度の人身障害を負わされたドイツ人住民が、ドイツ当局に対し、損害賠償の支払を求めたというものであって、加害国であるイギリスを相手に損害賠償を求めた訴訟ではないのであるから、右判決が、ヘーグ陸戦条約三条を直接の根拠として、被害者個人が加害国に対して直接損害賠償請求をし、それが認められた実行例であるということはできない。

(3) また、原告らは、第一次世界大戦後に締結されたヴェルサイユ条約等の平和条約には、加害国の被害者個人に対する損害賠償義務が明確に規定されていたなどとも主張する。

確かに、ヴェルサイユ条約等でなされたように混合仲裁裁判所等を設置することにより、本来被害国が加害国に請求すべき賠償について、被害者個人が加害国から直接に金銭を受け取って処理するような国際的な仕組みが作られることがある。

しかし、そのような場合に被害者個人に混合仲裁裁判所等への出訴権が認められるのは、あくまでもそのような処理をすることについて当事国間が合意した結果に過ぎないのであるから、原告らの主張する平和条約等の例をもって、ヘーグ陸戦条約三条により被害者個人の損害賠償請求権が認められた実行例とみることはできない。

なお、現在、ヘーグ陸戦条約三条に基づく責任について、加害国の内国裁判所において被害者個人が加害国に対し直接金銭の支払を請求できるようにするための国際的な合意は存在しない。

4 以上認定説示してきたところを総合すれば、ヘーグ陸戦条約三条は、専らヘーグ陸戦規則に違反した加害国の被害国に対する国家の国際責任を明らかにした規定に過ぎず、我が国の裁判所において、ヘーグ陸戦条約三条を根拠として、国際人道法に違反する軍隊構成員の行為により損害を被った個人が、違反者の所属する国家に対して損害賠償を請求することはできないというべきである。

確かに、証拠(フリッツ・カールスホーベン証人、甲三、一一、二〇、二一、乙一〇)によれば、現在右請求の可能性を認める考え方が存在することは認められるものの、それらの考え方はいずれも独自の見解であって、当裁判所の採用するところではない。

5  原告らは、本件加害行為がされた第二次世界大戦時までには、ヘーグ陸戦条約三条の規定は、ヘーグ陸戦規則のみならず、広く国際人道法違反の行為により損害を被った個人に対する加害国の直接の損害賠償を義務づける国際慣習法として成立していたとし、原告らは右国際慣習法により、被告に対し前記損害の賠償を求める請求権を取得したとも主張するが、ヘーグ陸戦条約三条を本訴請求の根拠とすることができない以上、同条と同内容の国際慣習法が成立していたとしても、それが本訴請求の根拠となり得ないことは明らかである。また、仮に原告らの主張するところが、ヘーグ陸戦条約三条とは関係のないところで、被害者個人の加害国に対する直接の損害賠償請求権を認める国際慣習法が存在しているというような趣旨であるとしても、そのような国際慣習法の存在は現在に至るまで認めることができない。

三  以上のとおり、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官梶村太市 裁判官増森珠美 裁判官大寄久)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例